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2014.12.06 (Sat)

黒田裕子を偲ぶ会*12月21日

看護者の倫理綱領
人々は、人間としての尊厳を維持し、健康で幸福であることを願っている。看護は、このような人間の普遍的なニーズに応え、 人々の健康な生活の実現に貢献することを使命としている。

看護は、あらゆる年代の個人、家族、集団、地域社会を対象とし、健康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和を行い、 生涯を通してその最期まで、その人らしく生を全うできるように援助を行うことを目的としている。

看護者は、看護職の免許によって看護を実践する権限を与えられた者であり、その社会的な責務を果たすため、 看護の実践にあたっては、人々の生きる権利、尊厳を保つ権利、敬意のこもった看護を受ける権利、平等な看護を 受ける権利などの人権を尊重することが求められる。

日本看護協会の『看護者の倫理綱領』は、病院、地域、学校、教育・研究機関、行政機関など、あらゆる場で 実践を行う看護者を対象とした行動指針であり、自己の実践を振り返る際の基盤を提供するものである。 また、看護の実践について専門職として引き受ける責任の範囲を、社会に対して明示するものである。


日本看護協会
http://www.nurse.or.jp/nursing/practice/rinri/rinri.html




「黒田裕子を偲ぶ会」のご案内
2014年12月21日(日) 13:30~16:30
コープこうべ 生活文化センター(神戸市東灘区)
http://www.hks-sien-net.com/cont7/main.html


阪神大震災20年:災害看護、任せて 先駆者の遺志、仲間継ぐ 「24時間見守り」東北で

阪神大震災や東日本大震災の被災地支援に取り組み、今年9月に73歳で亡くなった神戸市のNPO法人理事長、黒田裕子さんの遺志を受け継ぎ、仲間の看護師らが東日本大震災の被災地・宮城県気仙沼市の仮設住宅で24時間の見守り活動を続けている。阪神で相次いだ高齢者の孤独死を防ごうと、黒田さんは「災害看護」の実践に尽くした。深夜に一命を取り留めた急病患者もおり、集会所に飾られた黒田さんの遺影を前に、仲間たちは決意を新たにしている。

黒田さんは阪神大震災当時、兵庫県宝塚市立病院の副総婦長だったが、被災者救援に当たったのを機に退職して見守りボランティアの活動を始めた。理事長を務めていたNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」は東日本大震災翌月の2011年4月、気仙沼市立面瀬(おもせ)中に設けられた避難所で24時間常駐の看護を始めた。

同年6月以降、被災者は仮設住宅に移ったが、ボランティアの看護師らは約1週間交代で約100世帯(約240人)を見守っている。今年11月末までに延べ310人が活動し、黒田さんも何度も神戸から駆け付け、計303日に及んだ。

12年には1人暮らしの遠藤政子さん(64)がめまいや嘔吐(おうと)を繰り返し、看護師に電話して救急車を呼んでもらったことが数回あった。今は長男夫妻と同居する遠藤さんは「看護師さんらがいてくれて助かった」と感謝する。黒田さんとは、お互いの被災体験を語り合ったという。

住民の異変を知った看護師らは何度も救急搬送し、夜間も少なくなかった。心筋梗塞(こうそく)でバイパス手術を受け、助かった60代男性もいた。

黒田さんの死を仮設住宅の人々も惜しんだ。集会所には黒田さんの遺影を掲げた祭壇が設けられ、その前で毎夕、住民らは談笑し、看護師らが血圧を測定する。自治会長の尾形修也さん(70)は「黒田さんは住民と顔の見える関係を築いてくれた」と振り返る。

現場責任者の藤田アイ子さん(64)は、気仙沼市立病院の元看護部長。黒田さんからは、各戸巡回で住民の様子を注意深く観察するよう教わった。「生活の様子で体調や気持ちを読み取ることが大事」と話す。阪神大震災で親族が被災し、東北で「力になりたい」と言う助産師の神崎真姫さん(43)=奈良県=は「災害看護の先駆者として背中を見せてくれた。経験を次の世代に伝えていきたい」と誓う。


黒田裕子さん死去 阪神大震災で災害看護に尽力 2014年9月24日

阪神大震災後の仮設住宅で、高齢者の見守りや災害看護に尽力したNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」理事長の黒田裕子(くろだ・ゆうこ)さんが24日午前0時、肝臓がんのため、島根県出雲市の病院で亡くなった。73歳だった。葬儀は親族のみで行い、後日、お別れの会を開く。

黒田さんは、兵庫県宝塚市の市立病院の元副総婦長。1995年に阪神大震災を体験し、直後から避難所で負傷者の手当てなどにあたった。避難所で孤立しがちな高齢者・障害者により配慮した看護活動を実践するため、同年6月に同ネットワークを立ち上げ、市職員を辞めて取り組んだ。神戸市西区の仮設住宅内に約4年間住み込み、独居高齢者450人を戸別訪問。孤独死防止やアルコール依存症のケアに力を注いだ。

2004年の新潟県中越地震や11年の東日本大震災でも被災地に入り、行政の手が届かない在宅の障害者や高齢者の見回り活動などを展開。05年に災害看護の実績が評価され、朝日社会福祉賞を受賞。災害看護支援機構の理事長、ひょうごがん患者連絡会の代表としても幅広く講演活動を続けていた。

今年8月に体調が悪化し兵庫県西宮市内の病院に入院。今月18日に故郷の島根県内の病院に転院し、闘病生活を続けていた。


震災ボランティア尽力20年 黒田さん島根に帰郷、闘病へ 2014年9月19日

阪神・淡路大震災をはじめ、国内外の災害で被災したお年寄りらの支援に取り組んできたNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」(神戸市西区)理事長で、看護師の黒田裕子さんが肝臓がんとの闘病を続けており、18日、西宮市の入院先から古里の島根県にある病院に転院した。兵庫県の井戸敏三知事も見送りに駆け付け、長年の功績をたたえて黒田さんに感謝状を手渡した。

黒田さんは元宝塚市立病院副総婦長で、阪神・淡路を機に退職。仮設住宅でボランティア活動を始め、災害復興住宅に被災者が移ってからも、時には泊まり込みで寄り添った。トルコや中国・四川、ハイチなど海外の地震被災地でも奔走。東日本大震災の発生後は宮城県気仙沼市の仮設を定期的に訪れ、震災関連死を防ごうと力を尽くしてきた。

黒田さんは8月中旬に体調が悪化。肝臓がんと診断され、同28日に西宮市の明和病院に入院した。「阪神・淡路から20年を前に、災害からの避難や介護の在り方など提言したいことがいっぱいある。時間が欲しい」と話していた。

島根大医学部付属病院緩和ケア病棟への転院を決意。黒田さんは、病室を訪ねた井戸知事に「災害時に関連死を防ぐため、がんや人工透析の患者らを受け入れる環境を整えないと」と、か細い声で訴えた。知事は「県が震災20年に合わせてまとめている提言に、病状に応じた福祉避難所の設置を盛り込む」と約束した。

病院玄関には友人ら約40人が駆け付け、「早く帰ってきてね」と激励した。黒田さんはベッドに横たわったまま車に乗り込み、両手を合わせて感謝の思いを表していた。


全ての記事を表示する リンク元・移動先ランキング 最終更新日:2014/12/06

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