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2020.03.23 (Mon)

ありがとう*またひとり偉人が

21日午前6時55分
悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した 93歳だった

宮城まり子
本名 本目真理子さん


一本の蝋燭から
何千もの蝋燭に火が



女優の宮城まり子さん死去 93歳

日本で初めての肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を運営してきた女優、宮城まり子(本名・本目真理子=ほんめ・まりこ)さんが21日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。93歳。27日に同学園の子供たちと教職員のみで学園葬を営む。自宅は世田谷区上野毛3の22の5。

東京都出身。1955年に「ガード下の靴みがき」で歌手デビューした。その後、ミュージカル女優などとしても活躍し、テレビドラマ「てんてん娘」や映画「オンボロ人生」で地位を築いた。

脳性まひの子の役を演じたことなどから障害児教育への関心を高め、68年に私財を投じて「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現御前崎市)に開いた。74年、障害のある子供たちとの日々を描いた記録映画「ねむの木の詩」を製作・監督して反響を呼んだ。

1997年、施設を同県掛川市に移すとともに「ねむの木村」を開設。美術館などを併設して独自の障害児教育に取り組むとともに、全国各地で絵画展やコンサートを開いて障害者への理解を訴えてきた。

1994年7月に死去した作家の吉行淳之介さんとは、伴侶として約40年間を過ごし、99年には園内に吉行淳之介文学館も開設した。
2012年に瑞宝小綬章を受章。上皇ご夫妻とも交流があり、18年11月にはご夫妻が私的旅行として、ねむの木学園を訪ねられるなどした。

学園を巡っては、2011年2月、関連団体の元職員らが宮城さんから運営資金約1500万円をだまし取ったとして警視庁に詐欺容疑で逮捕される事件も起きた。

ねむの木学園元職員1500万円詐取容疑 数億円被害
障害を持つ子供たちの養護施設などを営むねむの木学園(静岡県掛川市)の園長で女優の宮城まり子さんの銀行口座から、現金約1500万円を不正に引き出したとして、警視庁は17日、東京都港区、自称プロデューサー広沢憲行(57)と同学園元職員近藤由美子(56)の両容疑者を詐欺の疑いで逮捕した。
https://social00welfare00dt.blog.fc2.com/blog-entry-990.html

ねむの木学園設立 宮城まり子さんが死去

肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立し、長年にわたり園長を務めた俳優の宮城まり子(本名本目真理子)さんが21日、死去した。93歳だった。

1927年、東京・蒲田生まれ。22歳で歌手デビューし、55年の「ガード下の靴みがき」が大ヒット。NHK紅白歌合戦に出場し、俳優としても舞台やテレビで活躍した。

ミュージカルの役作りで、脳性まひの子どもがいる施設を訪問したことをきっかけに、68年に私財を投じ肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現・御前崎市)に開いた。絵画や音楽、工芸などを教育に採り入れ、国内外で子どもたちの作品展を開催。障害のある子どもたちが生まれ持つ豊かな感性を世に伝えた。

また養護学校など福祉施設も設立したほか、園児たちとの記録映画「ねむの木の詩」などを次々と発表し、大きな社会的反響を呼んだ。
97年に静岡県掛川市に施設を移して「ねむの木村」を開設。障害児の職業実習のための喫茶店や雑貨屋などをつくり、障害者の福祉に尽くした。


障害のある子にも教育を 支援の先駆け 宮城まり子さん


天皇、皇后両陛下(当時)がねむの木学園を訪れ、出迎える宮城まり子さん=2018年11月、静岡県掛川市

上皇ご夫妻と40年以上にわたる交流もあった。76年12月には当時のお住まいの東宮御所に招かれ、子どもらの絵を披露。その後も美智子さまに美術展に足を運んでもらうなど、交流が続いた。

日本の肢体不自由児養護施設の先駆けとなった「ねむの木学園」を創設した宮城まり子さんが亡くなった。93歳だった。歌手や俳優として活躍した後、障害がある子どもたちの福祉のために生涯をかけた。


1927年に東京で生まれ、小学3年から大阪に。母親とは早くに死別した。
20代で歌手としてデビュー。社会福祉への関心を高めたのは、55年に「ガード下の靴みがき」が大ヒットした直後だった。

57年、「婦人公論」の取材で知的障害がある子どもを知った。59年、米国の俳優シャーリー・マクレーンさんの紹介で渡米、身体障害者に対する米国社会の積極的な理解に触れた。

その後ミュージカルで脳性まひの女の子の役を演じることになり、役作りのために障害児の施設を訪れた。その際、当時は多くの重度障害児が「就学猶予」として義務教育の機会を与えられず、学校に通えないことを知った。

2018年の朝日新聞のインタビューに、当時の思いをこう振り返っていた。その思いを実現させたのが、1968年に完成したねむの木学園だった。
「障害がある子もない子も教育を受け、愛されて当然。誰もつくってくれないから、自分でつくろうと決心しました」


わたしも昔 施設を訪問したことがあった



私財を投じて立ち上げた学園は、肢体不自由児のための養護施設の先駆けとなった。養護施設として開園し、学ぶ場を確保するため、施設内に公立学校の「分校」も設けた。
すべての子どもたちに可能性がある」が信念だった。学園では、絵画や音楽、工芸などを積極的に教育に採り入れた。国内外で作品展「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」の開催を重ねるなど、子どもの個性を伸ばす活動に取り組み続けた。

子どもたちの障害福祉に大きな功績を残した宮城さんの訃報に、関係者にも悲しみが広がった。
日本障害者協議会代表の藤井克徳さん(70)は「肢体不自由児に関する制度が未整備だった時代に、教育、生活の場をつくったのは先駆的だった。大規模な絵の展覧会なども通して、障害者問題を社会化したという点で、重要な役割を担った。1、2年前だったと思うがテレビで拝見し、お元気だと思っていただけに残念」と悼んだ。

宮城さんが会長を務める日本肢体不自由児療護施設連絡協議会の事務局長で、精陽学園(神奈川県平塚市)園長の市川進治さん(57)は、「芸能界での活動・肩書をなげうって、全ての精力を障害児の支援に捧げた人生だった。日本の福祉の草分けの一人で存在感は大きかった」と惜しんだ。「施設には、虐待を受けるなど家庭に恵まれない子どもも多い。そうした子の『お母さん』として、お年を召してからも、一人でも熱を出せば心配し、通院に付き添っておられた。そうした姿勢は晩年までまったく変わらなかった。まり子先生の志を継いでいけるよう協議会活動を続けたい」と話した。



知的障害児・者の療育に力を注いだ
糸賀一雄
この子らを世の光に

すべてのこどもたちにも可能性がある
障害をもった子供たちに教育の場を
宮城まり子

ありがとう

全ての記事を表示する リンク元・移動先ランキング 最終更新日:2020/03/23

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